蝦夷とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語


蝦夷

蝦夷

 

えみし

平安時代

 

 

教科書では、8世紀から9世紀、支配に従おうとしない東北地方の蝦夷に対し、朝廷がたびたび大軍を送ったとあります。

 

蝦夷えみしえぞと読みますが、それぞれ違う意味で解釈されます。教科書ではえみしとして出てきます。

蝦夷(えみし)は大和政権に服従しなかった東国の部族を指し、その範囲は時代によって異なります。

大和政権時代は関東地方、大化の改新以後は東北地方と北海道を指します。

 

大化の改新直後には、蝦夷に対する日本海方面の最前線基地として淳足柵(ぬたり)・磐舟柵(いわふね)が設置されています。

658年には、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が津軽方面で蝦夷を討っています。

この比羅夫は白村江の戦いにも参加しています。

780年には宝亀(ほうき)の乱で多賀城が陥落し、789年には阿弖流為(アテルイ)が遠征軍を壊滅させています。

これに対し、朝廷は坂上田村麻呂征夷大将軍に任命し、これを征服します。

教科書ではこのときの蝦夷が記載されています。

前九年合戦後三年合戦で出てくる安倍氏、清原氏や奥州藤原氏は蝦夷(えみし)との系譜的関係を主張しています。

奥州藤原氏が鎌倉幕府によって滅ぼされると、東北地方は東国武士によって支配され、蝦夷(えみし)は使われなくなりました。

 

その後、蝦夷はえぞと呼ばれ、アイヌ民族を指す言葉になりました。

そしてアイヌ民族が住む北海道は当時、蝦夷地(えぞち)と呼ばれました。

戦国時代には、蝦夷地南岸に住んでいた蠣崎氏(かきざき)が、アイヌの大首長コシャマインが起こした蜂起を鎮圧します。

江戸時代には、蠣崎慶広(よしひろ)が徳川家康より支配を認められて、松前氏と改称、後に松前藩となりました。

なお、蝦夷(えみし)と呼ばれていた時代の部族がアイヌ民族を指すのかは、さまざまな意見があり、はっきりとしていません。

見た目が赤い髪や、赤い顔をしており、当時は鬼と言われていたとも言われています。

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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