漢書・後漢書・魏志倭人伝ー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語


漢書

漢書

後漢書

魏志倭人伝

 

縄文・弥生時代

 

「漢書」(かんじょ)は後漢の班固(はんこ)とその妹の班昭(はんしょう)が、前漢について書いた正式な歴史書です。

高祖(劉邦)から新の王莽までが、紀伝体(皇帝の実績と重要人物の伝記を中心とする構成)で記述されています。

班固の弟・班超(はんちょう)は、西域都護(せいいきとご・西域統治の長)として知られています。

「漢書」地理志の中に海のかなたに倭人(日本人)がいて、100以上の国があると書かれています。

その中には定期的に漢に朝貢する(ちょうこう・贈り物を送ること)国もあると書かれています。

 

 

「後漢書」は宋の范曄(はんよう)が、後漢について書いた正式な歴史書です。

「後漢書」東夷伝には、倭の奴国が後漢に朝貢していたので、それに対し光武帝は金印を送ったと書かれています。

この金印は福岡県志賀島(しかのしま)で発見された、「漢委奴国王」と刻まれた金印だと考えられています。

西域列伝(せいいきれつでん)には「大秦王安敦(だいしんおうあんとん)」の使者が来たと書かれています。

これは当時のローマ皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニウスのことだと言われています。

 

 

「魏志倭人伝」は西晋の陳寿(ちんじゅ)が、三国時代について書いた歴史書「三国志」の魏書第30巻にある章の略称です。

当時の日本に卑弥呼(ひみこ)という女王があらわれ、倭(日本)の30余りの国を従えたことが書かれています。

そして卑弥呼が亡くなると、100人いっしょに埋められたそうです(殉葬といいます)。

その後は男の王になりますがまとまらなかったため、卑弥呼の後継者として13歳の少女、壱与(台与・いよ)が王になります。

壱与も卑弥呼同様に、魏に使者を送っています。そして、壱与の朝貢を最後に記述は終わっています。

 

 

※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。

 

 

縄文時代・弥生時代-歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい語句

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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