キリシタン大名とはー大友宗麟・大村純忠・有馬晴信


キリシタン大名

キリシタン大名

 

きりしたんだいみょう

戦国時代

 

 

教科書では、領内の港に南蛮船を呼ぶため、キリスト教徒になった戦国大名のことと説明されています。

 

キリシタン大名は、九州・近畿地方に多く存在し、当初は宣教師からの見返りを得ようとキリスト教に入ったとされています。

のちには、キリスト教の考えに影響を受け、キリシタン大名になった人物もいます。

中学の教科書では、天正遣欧少年使節を派遣した大友宗麟(おおともそうりん)のみ、キリシタン大名として登場します。

高校の教科書になると、同じく天正遣欧少年使節を送った大村純忠(すみただ)と有馬晴信(はるのぶ)も出てきます。

 

他のキリシタン大名としては、全ての教科書ではないかと思いますが、黒田孝高・黒田長政・小西行長・高山右近がいます。

黒田孝高(よしたか)は、黒田如水(じょすい)・黒田官兵衛の名で知られ、2014年の大河ドラマの主人公にもなっています。

豊臣秀吉の軍師というイメージが強いですが、高校ではキリシタン大名の一人として覚える人物です。

黒田長政(ながまさ)は、孝高の子で、関ヶ原の戦いの一番の功労者として、福岡に52万石を与えられ、大大名となっています。

黒田親子は、秀吉のバテレン追放令により、秀吉の命に従い、キリシタンではなくなっています。

 

小西行長(ゆきなが)は、豊臣秀吉の部下で、高校の教科書では、関ヶ原の戦いの西軍の将の一人として登場します。

関ヶ原の戦い後、責任者の一人とされ、石田三成とともに六条河原にて、斬首されました。

高山右近(うこん)は、多くの大名に影響を与えた人物で、黒田孝高も右近の影響で、キリシタンになったと言われています。

秀吉によりバテレン追放令が出された際には、領地・財産を捨て、キリシタンであることを選びました。

江戸時代になると、第2代将軍・徳川秀忠が禁教令を出し、キリスト教の禁止をさらに強化します。

これによって高山右近は、マニラに追放となり、キリシタン大名は存在しなくなりました。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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