北里柴三郎をわかりやすくー日本細菌学の父


北里柴三郎

 

きたざとしばさぶろう

1852年~1932年

 

 

教科書では、野口英世とともに、細菌学で優れた功績を残した人物として紹介されています。

ちなみに野口英世は太字ですが、北里柴三郎は太字ではありません。

 

北里柴三郎は医学者・細菌学者で「日本細菌学の父」「近代日本医学の父」とも言われています。

熊本医学校に進み、その後、東京医学校(現在の東京大学医学部)へ進学しています。

そこからさらにドイツのベルリン大学へ留学、コッホに師事します。

コッホとは、ドイツの細菌学者で、結核菌、コレラ菌を発見した人物です。

乳酸菌を発見し、狂犬病の予防接種に成功したフランスのパストゥールとともに「細菌学の祖」と称される人物です。

 

1889年には、世界で初めて破傷風菌だけを取り出す純粋培養に成功、翌1890年には、破傷風菌の抗毒素を発見しています。

また、血清療法という画期的な手法を開発、さらにこの血清療法をジフテリアに応用し、ノーベル賞候補になりました。

こうして国際的な評価を得た北里柴三郎ですが、その後日本に帰国しました。

 

帰国後は、福沢諭吉の援助により、伝染病研究所が作られることとなり、北里は初代所長となっています。

この伝染病研究所には、赤痢菌を発見した志賀潔(しがきよし)もいました。

野口英世(ひでよ)も、研究員として勤務していた時期があるため、2人には一応の接点があります。

そして北里本人は、香港で、ペスト菌の発見をしました。

その後、研究所の政府に対する対応に不満を持ち、所長を辞任、新たに自ら北里研究所をつくりました。

さらに福沢諭吉に援助を受けた恩返しとして、慶応義塾大学に医学部を創立、初代科長・病院長となっています。

また現在医療機器の製造・販売の国内最大手企業であるテルモは、北里らが設立に関わった会社として知られています。

民友社を設立した徳富蘇峰(とくとみそほう)は同郷の人で、北里の銅像の文字は徳富が書いたものです。

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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