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プロフィール
管理者:DN
愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。
愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。
文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。
主に小中学生に指導もしています。
東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。
松平慶永とはー松平春嶽・政事総裁職・幕末の四賢侯
2018年5月4日
教科書に出てくる『西郷どん』の登場人物
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w.sanbongi
松平慶永
まつだいらよしなが
1828年~1890年
演:津田寛治
松平慶永は、越前福井藩の藩主で、松平春嶽(しゅんがく)の名前でよく知られています。
薩摩藩主・島津斉彬、土佐藩主・山内豊信(容堂)、宇和島藩主・伊達宗城とともに幕末の四賢侯と呼ばれています。
越前福井藩は、親藩で、徳川家康の次男で、第2代将軍・徳川秀忠の兄・結城(松平)秀康が初代藩主となります。
結城秀康(ゆうきひでやす)は、もともと徳川家康(当時は松平家康)のあとを継ぐ位置にいました。
しかし、家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の戦いの後、秀吉の養子となったため、後継者から外れました。
その後、秀吉に実子ができた際、再度養子に出され、結城秀康となりました。
そして関ヶ原の戦いの後、越前に領地を与えられ、元の名字の松平に戻しました。
松平慶永はもともとは御三家の次の三家である、御三卿(ごさんきょう)のひとつ田安家(たやすけ)の出身です。
越前福井藩の藩主が亡くなり、後継ぎもいなかったことから養子として入り、藩主となりました。
藩主としては、橋本左内(はしもとさない)や由利公正(ゆりきみまさ)らとともに、幕政改革を行っています。
由利公正は、のちに五箇条の御誓文の原案を考えた人物として、知られています。
第13代将軍・徳川家定の将軍継嗣問題では、徳川斉昭や島津斉彬とともに一橋慶喜を推します(一橋派)。
しかしこれに敗れ、さらに勝手に日米修好通商条約を結んだ大老・井伊直弼に抗議、逆に謹慎させられました(安政の大獄)。
井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された後、政界に復帰し、文久の改革の中心人物のひとりとなっています。
このとき新しく設置された3つの要職のひとつ、政事総裁職についています。
しかし、3つの要職のひとつ・将軍後見職についた一橋慶喜と対立し、一度越前福井に帰っています。
その後、再度復帰し、土佐藩が建白した大政奉還を支持しています。
維新後は、新しくできた三職のひとつ議定(ぎじょう)に選ばれています。その後も重職を歴任し、61歳で亡くなりました。
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