親藩をわかりやすくー御三家・御三卿


親藩

親藩

 

しんぱん

江戸時代

教科書では、将軍家の親戚として紹介されています。

 

親藩は、徳川氏一門の大名で、御三家と越前・会津の松平家が始まりで、幕末には約20家あったといわれています。

親藩の中で最高位は御三家と呼ばれ、それに準ずる位として8代将軍・吉宗、9代将軍・家重が立てた御三卿があります。

この御三家・御三卿は徳川を名乗り、将軍家に後継ぎがいない場合、この中から将軍を出すことになっていました。

それ以外の親藩は御家門とも言われ、徳川家康の元の姓である松平を名乗りました。

 

御三家はすべて徳川家康の子を初代とし、その筆頭は家康の9男・徳川義直の尾張家です。

しかし、尾張家から将軍が出ることはありませんでした。

紀伊家(紀州徳川家)は、家康の10男・徳川頼宣を初代とし、8代将軍・吉宗、14代将軍・家茂を出しています。

水戸家は、家康の11男・徳川頼房を初代とします。将軍は出していませんが、2代・徳川光圀、9代・徳川斉昭が有名です。

ただし水戸家は他の2家と比べると、冠位が1段低く、石高も低かったため、他の2家より格下と認識されています。

御三家でも、水戸家からは将軍は出さないことになっていたという説まであります。

 

御三卿の田安家は、徳川吉宗の次男・徳川宗武を初代、清水家は、徳川家重の次男・徳川重好を初代としています。

一橋家は、吉宗の4男・徳川宗伊を初代とし、11代将軍・家斉、15代将軍・慶喜(ただし水戸家からの養子)を出しています。

 

御三家・御三卿以外では、徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)を初代とする越前松平家が筆頭格でした。

幕末には松平慶永(春嶽)が、政事総裁職として、活躍しています。

他には、2代将軍・徳川秀忠の側室の子で4男・保科正之(ほしなまさゆき)を初代とする会津松平家があります。

幕末には松平容保(かたもり)が、京都守護職に任命されています。新選組はこの京都守護職の指揮下におかれました。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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