カテゴリー: 社会
枕草子(平安時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
枕草子
まくらのそうし
平安時代
清少納言
清少納言の書いた『枕草子』は鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』とともに日本三大随筆のひとつとされています。
『源氏物語』を書いた紫式部は同年代の人物で、当時も今もよく比較されています。
『枕草子』には、約300の話が載っており、ひらがなを中心とした和文で書かれています。
ひとつの話が短めの文章が多く、読みやすいので国語でもよく出題される文章です。
編集は後に別の人物が行っており、それがいくつか存在するため、調べた冊子によってその順番は異なります。
つまり清少納言が書いた『枕草子』そのものがどんなものかは、わかっていません。
また「草子」とは冊子のことですが、「枕」についてはなぜ枕なのかはっきりしていません。
「枕詞」のまくら、まくらに例えたもの、本当のまくらを意味するなどさまざまな意見があります。
国語でも習いますが、知的な内容で、「をかし(趣がある)」を特徴にした作品です。
内容は大きく分けると3つに分類されますが、分類が難しい話もあり、学者によって意見が分かれます。
1つめは、類聚章段(るいじゅうしょうだん)で、いろいろな趣があるものを紹介していきます。
これに対し、清少納言が感想を述べるというのが主な内容です。
2つめは、回想章段(かいそうしょうだん)で、清少納言が宮廷で過ごしたことの内容が書かれています。
これによって平安時代の宮廷の暮らしを知ることができるので、大事な資料でもあります。
特に自分が仕えた中宮定子について、多く書いています。読みようによっては、清少納言の自慢話ともとれるようなところです。
3つめは、随想章段(ずいそうしょうだん)で、自然や日常生活について書かれています。
有名な「春はあけぼの・・・」のような内容がこれにあたります。
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後鳥羽上皇とはー中学生が覚えておきたい天皇・上皇10
2017年12月20日
社会, 覚えておきたい天皇・上皇
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w.sanbongi
後鳥羽上皇
ごとばじょうこう
1180年~1239年
承久の乱
教科書では、鎌倉幕府を倒そうと承久の乱をおこしたが敗れ、隠岐に流されたと紹介されています。
後鳥羽天皇は、高倉天皇の子つまり後白河法皇の孫にあたり、4歳で天皇に即位しています。
このとき、平家が安徳天皇といっしょに天皇の証である三種の神器を持ち去っていたため、神器なしで即位しました。
このことを後鳥羽天皇はずっと気にし続け、その後の後鳥羽天皇の行動に影響を与えたとも考えられています。
後白河法皇が生きている間は、法皇の院政、その死後は関白の九条兼実(くじょうかねざね)が実権を握っていました。
その後、九条兼実の勢力は朝廷を追われることになったため、後鳥羽上皇となり、院政を行うようになりました。
後鳥羽上皇は文武両道の人物で、武芸にも優れた能力を持ち、朝廷の軍事力も強化しています。
鎌倉幕府の3代将軍源実朝とは、うまく関係を築いていきますが、その実朝が暗殺されてしまいます。
そして将軍の後継問題などで、朝廷と幕府の関係が悪化していきます。
こうして後鳥羽上皇は、執権の北条義時を討つために承久の乱をおこします。
当初は、朝廷側有利と思われました。
しかし、幕府側は源頼朝の妻で、北条義時の姉である北条政子がその動揺を鎮めたと言われています。
朝廷側は思ったほど味方を得られず敗北、後鳥羽上皇は隠岐に流され、18年後にそのまま隠岐で亡くなります。
この事件後、朝廷の力は急速に弱まっていき、北条氏による執権政治が100年以上続くことになります。
後鳥羽上皇は歌人としても有名で、百人一首にも99番目に歌が選ばれています。
『新古今和歌集』の作成を命じており、その編集にも深く関わっていたと考えられています。
隠岐に流された後も、『新古今和歌集』を再編集をしており、これは「隠岐本新古今和歌集」といいます。
天皇家の菊の御紋は後鳥羽上皇が菊を好んで愛用したことが、始まりと言われています。
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