金剛峯寺とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語


金剛峯寺

金剛峯寺

 

こんごうぶじ

平安時代

 

 

教科書では、真言宗を伝えた空海が、和歌山県の高野山に金剛峯寺を建てたとあります。

 

金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町にある、真言宗の総本山です。

816年に唐から帰った空海弘法大師)が、高野山曼荼羅(まんだら)の世界を現そうと、開いた寺です。

曼荼羅とは、サンスクリット語で、悟りの境地に達するという意味で、仏の世界を図示したものです。

山の中の寺であるため、工事が進まず、空海が生きている頃には、今ある金剛峯寺とは程遠いものであったと言われています。

 

真言宗には、京都に空海が嵯峨天皇から与えられた真言宗大本山の教王護国寺東寺・とうじ)があります。

平安中期には、この教王護国寺と金剛峯寺が本山の地位をめぐって争いになり、金剛峯寺が敗北しています。

これによって勢いを失いますが、1000年代には、藤原道長、白河法皇鳥羽法皇が参詣し、栄えるようになっていきます。

鎌倉時代には、高野山で出家する人も増え、それにともない僧兵も存在するようになりました。

 

戦国時代には、比叡山延暦寺と同様に戦力を持ったいち勢力として存在し、金剛峯寺も織田信長と対立します。

延暦寺は焼き討ちされましたが、金剛峯寺は織田信長が本能寺の変で亡くなったため、焼き討ちされませんでした。

次の権力者・豊臣秀吉との対立は免れましたが、規模は大きく縮小されました。

また戦国時代から現代まで、多くの大名、並びに有名人が高野山に墓碑などを建てています。

上杉謙信・景勝親子、武田信玄・勝頼親子、織田信長、明智光秀、法然、親鸞などの墓碑が存在します。

現在も高野山には100以上のお寺が存在し、多くの人が参拝に訪れています。

2004年には、世界遺産の一部にもなっています。

高野山についてはNHKの『ブラタモリ』でも取り上げられたので、そちらを見るのも参考になるかと思います。

 

※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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