天智天皇とはー中学生が覚えておきたい天皇・上皇2


天智天皇

天智天皇

 

てんじてんのう

626年~671年

中大兄皇子

 

天智天皇は、教科書では中大兄皇子として、大化の改新と呼ばれる改革を行った人物として紹介されています。

また、天智天皇として、唐や新羅からの攻撃に備え、初めて全国の戸籍を作ったと記述されています。

 

聖徳太子推古天皇が亡くなると、蘇我馬子の息子の蘇我蝦夷、孫の蘇我入鹿はその時の天皇以上の力を持つようになります。

その舒明天皇(じょめい)の真ん中(2番目)の大兄(長男)の皇子が中大兄皇子でした。

そのとき蘇我蝦夷(えみし)・蘇我馬子(うまこ)に対して不満を抱いていた中臣鎌足とともに、蘇我氏を倒します。

その後も中大兄皇子の中臣鎌足(なかとみのかまたり)に対する信頼は厚いものでした。

そして最も高い位といっしょに「藤原(ふじわら)」という姓を与えました。

これが後に出てくる藤原氏につながっていきます。

 

このとき教科書にいっしょに出てくる言葉に日本が唐・新羅の連合軍と戦った「白村江の戦い」があります。

教科書ではわかりにくいですが、この戦いで日本軍を率いたのも中大兄皇子です。

もとは母である斉明天皇(さいめい)が軍を率いていましたが、途中で亡くなったため、中大兄皇子が軍を率いました。

天智天皇が作った戸籍は、庚午年籍(こうごねんじゃく)といいます。ただし、現存していません。

中大兄皇子から天智天皇に即位する際、近江大津宮(おうみのおおつのみや)に遷都しています。

 

約20年以上に渡って、中大兄皇子として活躍しました。

しかし、天智天皇としては実は短く、即位後8年で亡くなっています。

その他として天智天皇は百人一首の最初の歌人としても、登場します。

弟である大海人皇子が天武天皇に即位して、しばらく天武天皇の血筋が続きます。

それも奈良時代の終わりに途絶えたため、それ以降の天皇は天智天皇の血筋になり、その血筋は今の天皇まで続いています。

 

 

中学生が覚えておきたい天皇・上皇一覧

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

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