カテゴリー: 社会
歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧②
歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧②
室町時代~江戸時代
※青字はクリックすると、別ページに詳しい説明があります。
観阿弥 1333~1384 足利義満の庇護を受け、猿楽能を大成。大和四座の1つである観世座の祖。
世阿弥 1363~1443 父・観阿弥とともに能楽を大成。能楽の芸術論『風姿花伝(通称・花伝書)』を書いた。
雪舟 1420~1506 相国寺の僧。日本の水墨画を完成。『四季山水図(山水長巻)』『秋冬山水図』を書く。
大友宗麟 1530~1587 大友家当主の守護大名。一時期、九州最大の勢力となる。キリシタン大名として天正遣欧使節を派遣。
伊東マンショ 1570~1612 伊東祐益。13歳で天正遣欧使節の正使として派遣される。大友宗麟の妹の孫にあたる。
今川義元 1519~1560 駿河・遠江・三河を支配した戦国大名。桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討死。
足利義昭 1537~1597 室町幕府第15代将軍。最初、織田信長とともに統治するが、のちに信長に追放され、室町幕府は滅亡。
武田勝頼 1546~1582 戦国大名・武田信玄の子。長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍に敗れる。天目山の戦いで自害。
明智光秀 1528~1582 本能寺の変にて、主君の織田信長を殺害。その後、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、帰路中殺された。
狩野山楽 1559~1635 狩野永徳の養子。豊臣秀吉に仕える。永徳死後は、狩野派の代表作家。『松鷹図』で知られる。
出雲の阿国 不明 出雲大社の巫女(みこ)。後の歌舞伎につながる、かぶき踊り(阿国歌舞伎)を始めた人物。
豊臣秀頼 1593~1615 豊臣秀吉の子で、関ヶ原の戦い後は、いち大名となる。大阪の陣(冬の陣・夏の陣)で敗れ、自害。
石田三成 1560~1600 豊臣秀吉の部下で、五奉行の一人。関ヶ原の戦いでは西軍の中心となるが、敗れ、斬首された。
毛利輝元 1553~1625 中国の戦国武将・毛利元就の孫で、豊臣政権・五大老の一人。関ヶ原の戦いの西軍の大将。
徳川秀忠 1579~1632 江戸幕府第2代将軍。徳川家康の子。禁教令を強化。武家諸法度・禁中並公家諸法度などを定める。
天草四郎 1621~1638 益田時貞。キリシタンで神の使いとされ、10代半ばで島原・天草一揆の大将となる。
新井白石 1657~1725 江戸幕府第6代将軍・家宣、第7代将軍・家継のとき、文治政治を行う(正徳の治)。学者でもある。
徳川光圀 1628~1700 徳川御三家の一つ水戸藩の藩主。『大日本史』編纂を始める。水戸黄門としても知られている。
坂田藤十郎 1647~1709 上方の歌舞伎俳優。和事の名手。その名は歌舞伎界で最も権威のある名前のひとつ。現在は4代目。
市川団十郎 1660~1704 江戸の歌舞伎俳優。成田屋。荒事を演じる。歌舞伎界で最も権威のある名前。12代目は2013年死去。
俵屋宗達 不明 京都の画家。大胆な構図の新しい装飾画を書く。代表作は『風神雷神図屛風』。
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東インド会社とはー世界初の株式会社・アンボイナ事件
2018年6月22日
歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
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w.sanbongi
東インド会社
ひがしいんどがいしゃ
戦国時代
教科書では、17世紀にオランダが東インド会社を設立、ポルトガルに代わってアジアに進出したと書かれています。
東インド会社とは、アジアの貿易を独占した貿易会社です。
東インドとありますが、インドだけでなくアジア全域を独占していました。
中学の教科書では、オランダの東インド会社のみ登場しますが、他にもイギリス、フランスも東インド会社を設立しています。
これに対し、西インド諸島との貿易のための会社として、西インド会社もあります。
オランダの東インド会社は、特権的商人団によって1602年に設立、世界初の株式会社といわれています。
イギリスの東インド会社と比べると、商業的な会社でしたが、植民地の経営や、条約の締結など政治的なこともしています。
この当時、オランダはスペインと対立、この影響で貿易を制限されていたため、これに対抗することが設立の目的でした。
1619年にはジャワに東インド総督がおかれ、東アジア進出の中心となりました。
ジャワの都市・バタヴィア(今のジャカルタ)は、ジャワ島の中心として発展しました。
さらに、インドネシア東部の香辛料の産地で香料諸島と呼ばれたモルッカ諸島を、ポルトガルから奪いました。
しかしそののちイギリスもモルッカ諸島に進出、激しい競争となりました。
1623年には、モルッカ諸島の基地アンボイナで、イギリス商館員全員を虐殺する事件を起こしています(アンボイナ事件)。
このとき日本人も東南アジアに進出しており、イギリス商館で働いていた数名が、同様に殺害されました。
この事件後、オランダは優位になり、モルッカ諸島を独占しました。
また鎖国にあった日本でも、ヨーロッパで唯一、出島での交易が認められていました。
こうしてヨーロッパの貿易や金融の中心として栄えたオランダですが、1795年ナポレオンによって支配されてしまいます。
これに伴い、1799年、オランダの東インド会社は解散し、ジャワはイギリスに占領されました。
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