獣医に中学生がなるには
獣医に中学生がなるには
動物の病気を治したり、
体調管理をする仕事です。
獣医になるには、大学の獣医科に進学し、国家資格(獣医師免許)を取る必要があります。
獣医はレベルが高すぎるが、動物病院などで働きたい場合は、動物看護師という職業もあります。
身近なのは、動物病院で働く獣医で、おもに小動物を取り扱う獣医ですが、大きな動物のための獣医もいます。
農家の牛などだけでなく、競馬(けいば)の馬、水族館の動物などです。
他にも国家公務員として、県などの施設で働き、検査を主な仕事とする獣医もいます。
国家試験は、8割くらいが合格する試験です。ただし、獣医科のある大学に入るのが、とても難しいです。
よって、高校はできるだけレベルの高いところを目指します。偏差値はすべての大学60オーバーです。
獣医学は理系になるので、高校は理系コースを選びます。
なお、獣医学科のある大学はたくさんないので、下宿生活になる可能性が高いです。
私立は5校、国公立で11校です。愛知で考えた場合、一番近くて岐阜大学でしょうか。
6年通う必要があり、学費もかなりかかるので、あらかじめ獣医になる意志を保護者の方に伝えておいたほうがいいです。
卒業後は、前述したように、自身で独立開業というイメージが強いかもしれません。
そこまで考えると学費、下宿代、独立開業費とかなりの費用が必要になります。
他には、動物園、水族館に就職する場合もあります。農協で畜産の管理などの仕事もあります。
獣医はなるのが難しく、国家資格を必要とし、さらにペットブームということもあり、将来の明るい職業だと言われています。
動物好きで獣医を目指す場合も多いかと思いますが、医者である以上、多くの動物の死の場面を見る場合も多くなります。
動物が好きである人ほど、そういった場面に立ち会うのがつらいと思われるかもしれないので、その点は考えて選びたいです。
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徳川綱吉がしたことー歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍3
2017年9月18日
社会, 覚えておきたい徳川将軍
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w.sanbongi
徳川綱吉
とくがわつなよし
第5代将軍
1646年~1709年
教科書では、朱子学をすすめたこと、生類憐みの令を出したことが記述されています。
徳川綱吉は第3代将軍徳川家光の四男で、第4代将軍徳川家綱の弟になります。
ちなみに身長は124㎝だったと言われています(当時の平均身長は155㎝)。
家綱に子供がおらず、他の兄たちも亡くなっていたため、綱吉が将軍となりました。
第3代将軍家光までは、武力でおさえる武断政治でしたが、第4代から第7代までは朱子学に基づいた文治政治が行われました。
特に綱吉は文治政治を推進し、忠孝・礼儀を重視した天和の武家諸法度を発布しています。
のちに幕府直轄の学問所となる孔子廟ー湯島聖堂を立て、新井白石、室鳩巣(むろきゅうそう)らの学者を輩出しています。
大老堀田正俊や柳沢吉保の補佐で行われたこれら綱吉の政治は、天和の治と呼ばれ、善政と評価されています。
また、天和の治を受けて経済が発展、綱吉のころの上方の町人を担い手とする文化を、元禄文化といいます。
しかし大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に殺され、そのため老中などを遠ざけるようになり、その後生類憐みの令を出します。
その動物愛護は、犬、猫、鳥だけでなく、魚、貝、虫にまで及びました。
自ら犬小屋に野犬を飼い、住民は追い出されました。
犬好きなのは、自身が戌(いぬ)年だったためと言われています。
ちなみにこの生類憐みの令は、徳川光圀も反対していました。
一般的には前半は善政の人、後半は暗愚という評価される場合が多いかと思います。
64歳で亡くなります。第6代将軍徳川家宣の代になると、生類憐みの令はすぐに廃止されました。
また、討ち入りで有名な赤穂浪士のお話し(赤穂事件)も綱吉の時代のお話しです。富士山の大噴火も起きています。
綱吉の評価が低いのは、「忠臣蔵」や「水戸黄門」の影響があると言われており、最近は再評価もされています。
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