カテゴリー: 社会
歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧③
歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧③
江戸時代~明治時代
※青字はクリックすると、別ページに詳しい説明があります。
菱川師宣 1618~1694 浮世絵を確立した人物。肉筆画から始まり浮世絵版画で普及。代表作は『見返り美人図』。
大黒屋光太夫 1751~1828 伊勢から江戸へ向かう途中に遭難、ロシアの女帝と会い、ラクスマンの船で帰ってきた人物。
徳川家斉 1773~1841 江戸幕府第11代将軍。松平定信を登用し、寛政の改革を行わせる。大御所として実権を握った。
東洲斎写楽 18世紀末 1年で約140点の作品を残した浮世絵師だが、不明な点が多い。歌舞伎役者の絵が有名。
十返舎一九 1765~1831 滑稽本(こっけいぼん)作者。代表作は弥次郎兵衛と喜多八の『東海道中膝栗毛』。
滝沢馬琴 1767~1848 読本(よみほん)作者。山東京伝(さんとうきょうでん)の弟子。代表作は『南総里見八犬伝』。
小林一茶 1763~1827 俳人。農民の素朴な感情を読む。代表作『おらが春』。明治時代、正岡子規の紹介により再評価。
緒方洪庵 1810~1863 医者。医学所頭取。適塾(適々斎塾)を開き、福沢諭吉・大村益次郎を輩出した。
渡辺崋山 1793~1841 蘭学者・画家。代表作『鷹見泉石像』『慎機論(しんきろん)』。蛮社の獄ののち命を絶つ。
高野長英 1804~1850 蘭学者。シーボルトに学ぶ。『戊戌夢物語』でモリソン号事件を批判、蛮社の獄後、逃亡・自殺。
徳川家茂 1846~1866 江戸幕府第14代将軍。徳川慶福(よしとみ)とも。公武合体のより孝明天皇の妹・和宮と結婚。
高杉晋作 1839~1867 長州藩士。イギリス公使館焼き討ち事件を起こす。奇兵隊を率いて、第二次長州征伐で活躍。
坂本龍馬 1835~1867 土佐藩士。海運・貿易のための海援隊を組織、薩長同盟を結ばせた。京都で暗殺された。
徳川慶喜 1837~1913 江戸幕府第15代将軍。一橋慶喜とも。大政奉還を行い、江戸幕府最後の将軍となる。
岩倉具視 1825~1883 公家。公武合体を行い、のちに討幕派へ。岩倉使節団を結成し、アメリカ・ヨーロッパを巡遊。
江藤新平 1834~1874 佐賀藩士。司法卿。江戸遷都を主張。民撰議院設立の建白書を提出。佐賀の乱で敗れる。
植木枝盛 1857~1892 自由民権運動家。板垣退助とともに活躍し、自由党の理論的指導者。『民権自由論』を書く。
井上馨 1835~1915 外務卿。条約改正実現のため欧化政策をとるが、改正案は政府内外の非難をあびる。
幸徳秋水 1871~1911 中江兆民の弟子。平民社を設立し、『平民新聞』で反戦論を展開。大逆事件で死刑となる。
内村鑑三 1861~1930 札幌農学校で学び、キリスト教信者となる。日露戦争には反対。不敬事件でも知られる。
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対馬藩をわかりやすくー朝鮮との交易に活躍
2018年9月14日
歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
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w.sanbongi
対馬藩
つしまはん
江戸時代
教科書では、日本と朝鮮との間の国交を回復させた藩と説明されています。
対馬藩は、主に今の長崎県に属する島・対馬を主として治めていた藩です。
この地を代々治めていた宗氏(そうし)が、そのまま藩主となりました。
戦国時代には、九州本土へ進出しようとしますが失敗、豊臣秀吉の九州征伐の際には、秀吉に従い、本領を安堵されました。
そのときの当主・宗義智(そうよしとし)は、秀吉の部下でキリシタン大名として有名な小西行長の長女を妻としています。
そして小西行長とともに朝鮮との交渉を行いますが、失敗しました。
これにより起こった文禄の役では、小西行長軍の主力として、日本軍の先鋒となり活躍しています。
秀吉死後起こった関ヶ原の戦いでは、石田三成側の西軍として参加しました。
この戦いの主犯として処刑された小西行長を義父に持つ立場にありながら、罪には問われず、領土は安堵されました。
これは、当時徳川家康が、秀吉の朝鮮出兵により悪化していた朝鮮との関係を、早期に修復することを望んでいたためです。
こうして宗義智は対馬藩の初代藩主となり、実際に朝鮮との和平条約を締結させています。
この功績を徳川家康から認められ、対馬藩は独立して、朝鮮との貿易することが許されました。
大阪の陣、島原・天草一揆にも幕府側として、参加しました。
その後も対馬藩は、将軍の代がわりを祝う使節・朝鮮通信使を迎えるなど、日朝外交の大事な役割を果たしていきます。
朝鮮通信使の中には、学者や芸術家もおり、文化交流なども行われました。
釜山(ぷさん)に設けられた倭館で、朝鮮との貿易を行いました。木綿や朝鮮人参、絹織物を輸入、銀や銅を輸出しています。
幕末には、ロシアの軍艦・ポサドニック号が対馬にとどまり、土地を貸すよう要求してきました。
しかし島民の抵抗やイギリスの干渉により退去、植民地化の危険を逃れています(対馬占拠事件)。
その後、明治時代に入り版籍奉還・廃藩置県により、対馬藩はなくなりました。
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