中学生が覚えておきたい戦争の歴史①
中学生が覚えておきたい戦争の歴史①
※教科書(東京書籍「新しい社会 歴史」)で太字の語句は、同様に太字にしてあります。
白村江の戦い 663年。日本水軍VS唐水軍。百済の復興を目的に日本が救援に向かうが、白村江で大敗した戦い。
壬申の乱 671年。大友皇子VS大海人皇子(のちの天武天皇)。天智天皇死後の皇位をめぐって争った内乱。
大海人皇子が下級官人や地方豪族の協力を得て勝利。大友皇子は自殺。後に弘文天皇の名を贈られる。
前九年合戦 1051~52年。陸奥の安倍氏が国司に反抗して起こった合戦。源頼義、義家親子が清原氏の助けで平定。
後三年合戦 1083~87年。清原氏の相続争いに源義家が介入した合戦。藤原清衡の助けで、源義家が清原氏を滅ぼす。
保元の乱 1156年。後白河天皇・藤原忠通・平清盛らVS崇徳上皇・藤原頼長・源為義らの戦い。上皇側の敗北。
平治の乱 1159年。平清盛・平重盛・藤原通憲らVS源義朝・源義平・藤原信頼らの戦い。
源義朝側の敗北。後白河上皇と二条天皇は脱出、源義朝、藤原信頼は敗死。
壇ノ浦の戦い 1185年。壇ノ浦(現・下関市)で起こった源平最後の合戦。平家はこの戦いで滅んだ。
承久の乱 1221年。後鳥羽上皇による鎌倉幕府打倒の乱。執権・北条義時が勝利、後鳥羽上皇は隠岐に流された。
文永の役 1274年。元が日本の服従拒否に対して日本を襲来。日本軍は火薬に苦戦するが、暴風雨に助けられ撃退。
弘安の役 1281年。2度目のモンゴル襲来。北条時宗の日本軍の奮戦と暴風により、モンゴル軍敗退。
応仁の乱 1467~1477年。細川勝元と山名持豊の対立、足利将軍家のあと継ぎ問題などが原因で起こった大乱。
これにより足利将軍家および公家勢力は力を失い、こののち戦国時代となる。
山城国一揆 1485年。京都府南部の山城で武士と農民が起こした一揆。守護大名を追い払い、8年間自治を行う。
加賀の一向一揆 1488年。一向一揆とは、浄土真宗の信仰で結びついた一揆。各地で起こる。加賀では約100年自治を行う。
桶狭間の戦い 1560年。織田信長が東海に君臨した戦国大名・今川義元を桶狭間で破った戦い。織田3000対今川25000。
長篠の戦い 1575年。織田信長・徳川家康VS武田勝頼。信長軍が足軽鉄砲隊を用い、武田の騎馬隊を大敗させた。
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織田四天王とはー四天王の歴史
2018年12月30日
四天王の歴史
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w.sanbongi
織田四天王
織田信長
柴田勝家 丹羽長秀 滝川一益 明智光秀
柴田勝家は、織田家の北陸方面の軍司令官を任された人物で、織田家筆頭家老です。織田軍随一の猛将といわれています。
信長の父・織田信秀のころから織田家に仕えており、信秀死後は信長の弟・織田信勝(信行)を後継者にしようとしています。
信長との戦いに敗れた後は信長に仕え、信長が上洛する際には、主力として活躍しています。
信長が本能寺の変で亡くなると、羽柴秀吉と対立、賤ヶ岳の戦いに敗れ、居城・北庄城にて自害しました。
丹羽長秀は、織田家に置いて柴田勝家につぐ家老ナンバー2で、柴田勝家とともに織田家の双璧といわれています。
羽柴秀吉の「羽柴」は「丹羽」と「柴田」から取ったとドラマなどでは描かれることが多いです(事実かは諸説あります)。
軍事面でなく、政治面でも活躍、織田家で一番最初に一国を与えられた人物でもあります。
しかし信長死後は、秀吉を支える道を選び、秀吉が勝家に勝利すると、123万石を与えられ、大大名となりました。
滝川一益(たきがわかずます)は、織田家鉄砲隊を主に率いた人物で、関東方面の軍司令官を任された人物です。
長島一向一揆や長篠の戦いで、鉄砲隊を率い活躍、これにより武田家の領地を与えられています。
本能寺の変後は、柴田勝家に味方します。柴田勝家が敗れた後も奮戦しますが、結局、秀吉に降伏しました。
その後は秀吉に仕えますが、目立った活躍もなく、亡くなっています。
明智光秀は、近畿方面の軍司令官を任された人物で、織田信長を本能寺の変で倒した人物です。
最初は、織田信長と室町幕府15代将軍となる足利義昭の上洛に加わり、両者の家臣という立場でした。
しかし、信長と義昭が対立すると、信長につき、その後は多くの戦いで活躍し、信長からも評価を得て、出世していきます。
信長に中国攻めに苦戦している羽柴秀吉の援軍に向かうよう命を受けますが、本能寺に向かい、信長を倒しています。
本能寺の変後、羽柴秀吉と山崎の戦いで敗れ、自らの城に戻る途中、殺されました。
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